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泳禅一如の世界  


 プールに通いだして32
になります

 

● 柔軟性の先生は水だ。

  
 平成元年からプールに行き水と親しむ様になった。

水は柔軟で環境適応力の先生だ。

 通常は液体だが、どんな容器にも従うし熱せられれば雲に

なって、大気中にも 浮かぶ。

雨になって植物に恵みをもたらし、冷やされると氷になって存在をしめす。

無味無臭だが砂糖を入れると甘くなり塩を入れれば塩味となる。

石を投げ込んでも、すぐに元の静けさを取り戻す。

汚れを洗い清め、熱せられればヤカンの蓋をも持ち上げ、

蒸気タービンを回して電気も起こすのである。

● 泳禅一如の世界。 


 私のスイミングも32
年間が過ぎた。

週に3度程行き、毎回、約1時間、1キロ程を泳ぐ。

初めの頃は距離重点で約2キロを泳いでいた。

段々いろんな泳法の動きに興味が湧いてきて、13
年程前から

400メートル個人メドレーが泳げるように成った。

なるべくゆっくりと泳ぐ。ゆっくり動作は心をリラックスさせ
るし水に入ると何故か心休まる。

釈尊の座った姿を真似る事で静かな心の状態になれるというのが

座禅なら、
ゆっくりスイムは動く禅であろう。

 脳味噌はタライに入れた豆腐の様なもの、 顎を横から叩かれると

頭蓋骨と脳味噌は逆回転して神経が、おかしくなる。

叩かれなくとも左右に顔を早く振れば、すぐにおかしいと自覚できる。

脳だけでなく体の部品は総て皮膚の下で体液に守られている。

だから水中動作のスイミングは体にやさしい運動だ。

ランニングが空冷ならスイムは水冷だ!

道具は、水着、キャップ、ゴーグル、耳栓だけで経済的でもある。


     


● 私のゆっくりスイム。 


 浮力の原理で水中に占める容積だけ各関節の負荷を減らしてくれるし、

どんな動きも自由自在に支えてくれる。

私は、なるだけ体の左右を均等に動かすように留意している。

左右がそれぞれ同様に動けば 左右の脳も均等に刺激を受ける筈だからと、

その様に心がけている。

 特に呼吸動作が大切だ。当たり前だ、これを強制的に止めると人は死ぬ。

肺に入る空気は浮き袋の役目もするし、体の動きを楽にさせてくれる元である。

背泳、平泳、バタフライは平面的な呼吸だが、クロールは泳ぎながら横向き

にする呼吸だ。

 片側呼吸の人が多いが、私は右側も左側も同じ様に水上に口を出して呼吸

するアルタネイトブリージングスイムを心掛けている。

この事が体のバランスを整えてくれると信じている。

水から出た左右の肘の動きや腕の脱力を自分の目で確認出来るのも良い。


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● 一息千宝の元気。 

 季節ごとに水の感覚も違ってくる。

光線が水面にあたってキラキラと底がきらめく、

水が重いと感じる季節、冷たいと感じる季節を体感できる。

 泳ぎながらの呼吸は元気の元を作ってくれる。

それが感覚を活性化させてくれて無数の感動を生んでいく。

健康になり希望を持たせ工夫をさせ感動を生み続けさせる。

まさに健康、希望、工夫、感動、継続の5Kである。

 健康こそ宝!まさに一息千宝である。呼吸し、生きている事だけで十分。

どんな宝物が得られるかは各人の持つ受信装置の敏感さによるのであろう。

 リンゴは,いつの時代にも落ちていたが法則として見つけた

のは、
ニュートンが最初であった。

感動と言う心の受信装置に錆が付かずに、

鋭敏に働くように益々、磨き続けたいものである。

高度成長で膨張してきた物質文化よりも、

己自身の心を探る古来の日本文化に心引かれるのである。

「はげみこそ不死の道、怠りこそ死の道なり」

言いふるされた言葉でも重みがある。